書き溜め

僕ら、走れるだけ駆け抜けた

アイドルを"信じる"ということ

 

 

2018年4月15日。この日に始まり、今現在に至り、未来にも続く、とても大きな、恐らく一生忘れられない出来事を、最近は特によく反芻してしまう。一年経ったから、というのも勿論あるけれど、最近の関ジャニ∞の動向を、どうしても勝手にマイナスな方面へ捉えてしまうわたし自身の思考回路が、一番の要因だと思う。彼ら自身に何か変化があった訳ではない(ここ最近の個人的なもやもやは以前書いたこの記事とさほど変化していないので、割愛する)。

 

 

この件に関する他の人のいろんな意見を目にしては、「わたしはこう思っていたけど、言われてみればこの人の意見の方が正しいかもしれない」と揺らいだり、「いつ何が起きてもおかしくないのだから、あらかじめ覚悟を決めておこう」と思ったりした。一連の噂を全部嘘だと信じている人たちに対する『現実を見ろ』と言ったメッセージが暗喩されている反論の意見を読んでは自分に言われているような感覚になり、そう言われていることを恥じ、自分自身の考えを何とかして捻じ曲げ、考えうる最悪の未来へ向けて腹を括ろうと努力もした。

だけど、何をどうしても、わたしにそのスタンスは合わなかった。というか、その考え方にはなれなかった。

いくら人の考えは変わると言っても、日々関ジャニ∞が発信してくれた様々な言葉をすべてマイナスに受け取るのは、果たして正しいことなのだろうか。と、どうしても考えてしまう。

去年、6人初体制の「ここに」で、華々しくも荒々しく『始まるんじゃない、始めるんだぜ』『進むんじゃない、進めるんだぜ』『いまを刻んで行こう』と決意表明のように歌っていた彼らの姿を、その頃に雑誌やMCで語ってくれた言葉たちを、「人の気持ちは変わるんだから過去の言葉も信じるだけ無駄」と手のひらを返すことが、「その当時と気持ちはがらっと変わってるかもしれない」とはなっから受け取ろうとしないことが、本当に正しいオタクのあり方なのだろうか。

わたしにはわからない。わからないけど、わからないなりのわたしの結論は、未来に何かが起きた時に傷を浅く済ませたいのならそっちの在り方が正しいし、今を楽しく生きたいのならば正しくない、というところだった。まあ、つまりはその人次第。そして、少なくとも、過去の言葉たちを無に返すことは、わたしのスタンスには合わないと思った。

わたしは、あのとき「笑っていこうね」と直筆で書いてくれた大倉くんのことを、ずっと馬鹿正直に縋って信じていたい。"7人最後"と銘打った番組で歌ってくれた曲たちを全て"6人最初"のライブでも歌ってくれた関ジャニ∞のことを、カウコンの大きなステージでぎゅっとちっちゃく身を寄せ合い笑顔で歌っていた関ジャニ∞のことを、たとえお花畑だと笑われても、たとえいつかこの願いがまた散ってしまったとしても、絶対にすべてが本当だと、すべてが永遠に近いものになってくれると、ずっとずっと信じていたい。まあ、わたしは意思が弱い人間なので、時々はそれを貫けず、もしもの未来に怯える日もある。どうしたってネガティブになる夜もある。でも、基本的なスタンスとしてはこの感覚を保っていたいなあ、と心から思う。

 

それに、もしもわたしたちが怯えている例の噂が事実だとしても、せっかく次のツアーが決まっていて、その噂が現実となる前に会える機会が保証されているのに、「どうせまた悲しい出来事が起こるんだ」と悲観的な気持ちのまま怯えながらその日を迎えるのは、とても勿体ないことだと思うのだ。そのライブでわたしたちが彼らに、素敵な景色を見せられたら、いつも与えられている恩返しに今度はわたしたちが感謝や感動を与えることができれば、その"もしも"の未来がなくなる可能性だってあると思う。

すばるくんのときはその機会すらもなかったけれど、今回は直々に、気持ちを伝えられる場があるのだ。オタクは無力ではない。もちろん時折不安になるし、無力感を感じることもあるけれど、それでも、もしもの未来を吹っ飛ばせる力を絶対に持っていると思う。

この考えは押し付けではないし、こういう思考こそがまさにお花畑なのだろうなという自覚はある。あるけど、この思考が間違えているとも思わない。悲観的でいるよりは絶対に正しい、と声を大にして言えるほどの自信も、ちょっとはある。(ちょっとかよ)

アイドルを応援することは義務じゃない。辛い思いをする必要はない。もし少しでも辛いなぁと思ってしまった時は、その対象から距離を置くか、考え方を明るいものに切り替えるか、の二択だとわたしは考える。そしてわたしはその内の後者を選んだ。前者にはなれなかった。きっとこれが全てだ。わたしが関ジャニ∞を信じるにあたって、これ以上の理由はない。

 

"アイドルを信じるということ"は、恐らくとても不確かなことだ。再三言っているとおり、アイドル側の永遠なんて保証されていない。いつ彼らが舞台から去ることを決意するか、いつまた涙を流す日が来るかはわからない。そして、もちろんわたしだって、 いつ彼らから興味が薄れるかはわからない。明日には彼ら以上に好きになるものに出会うかもしれない。そもそも彼らは、信じてもらうことを望んでなんていないかもしれない。現実を見据えていた方が、来たるべきときの打撃は少なくて済む。これを書いている今だって、色々考える。これで正解なのかとか、どうあることが最もしあわせなオタクでいられるのか。とか。

それでも、何度考えても、わたしはどうしても永遠を信じずにはいられなさそうだ。2018年4月14日までのわたしがそうであったように。あの日までの関ジャニ∞がそうさせてくれていたように。2018年4月15日、永遠を信じたくなくなった、彼らの言葉の全てを信じられなくなったわたしを、6人の関ジャニ∞が救い出してくれたのだから。

 

という、それだけの記事。毎回毎回ネガティブな記事→ポジティブ→ネガティブ を繰り返してる(しかも内容もオウム返しな)の、めちゃめちゃ情緒不安定なのが露呈しててうけるな。

兎にも角にも、茶髪の大倉くんにはやく会いたいな!あと、十五祭で旅人歌ってくれますように!BOYも!!!crystalも!!

…まあ、もしこれらを歌わなくたって、十五祭のセトリやMCで、関ジャニ∞が何を示し、何を語ってくれるのか、今からすっごく楽しみで仕方ないよ〜。アルバムがない分、セトリが持つメッセージ性はきっと強いと思うから。

 


さてさて、まずは行きたいところに全部無事入れますように…。日々徳を積もうね。おしまい。

6人が6人でいること

 

 

 

1年前の今日、「ああもうどうしよう」の一文で終わる記事を書いた。

ひさびさに読み返したらほんとにほんとに、ほんとうにひっどい文章で、笑うとかもできず、途中で何度も閉じそうになった。当時の自分の大切なきもちなので、消しはしないけど。

本当にぐちゃぐちゃな文章たちだけど、当時はあまりにも悲しくて辛くて苦しくて、ほんとうにどうしたらいいのかが、まるでわからなかったのだ。

 

 

1年前、本当に何もわからなかった。来年の今頃自分は関ジャニ∞を好きでいられるのか。そもそも関ジャニ∞が続いているのか、6人でステージに立ち続けてくれているのか。6人の関ジャニ∞を見た時、自分はどうなってしまうのか。などなど、とにかく色々、不安だったことはとても覚えてる。11時に本人達からのメッセージを読んだ瞬間の寒気なんかは、多分もう一生忘れられそうにない。

 

けれど今は、6人の関ジャニ∞のことを心の底からかっこいいと思えている。世界で一番好きだと胸を張って言える。"6人の関ジャニ∞に対してこう思うんじゃないか、こう思えないんじゃないか"と、あの日に抱いていた不安も、今はもうない。

あの日、泣きじゃくりながらすがりついていた7人の関ジャニ∞から、わたしはすっかりきれいに卒業できたんだ、と思う。この言い回し、大倉くんに怒られるかな。

 

 

 

1年前の今日、午前からずっと泣きっぱなしだった日の夜、泣き腫らした目で関ジャムを観た。普段はリアタイなんてしてなかったくせに、この日はテレビの前でずっと待機して、いつも通りのメンバーを見て、いつも通りギターを弾くすばるくんを観た。あまりにもいつも通りの光景で、また泣いたし、やっぱり絶対に嘘だ、と思った。ここからすばるくんが欠けるなんて、本当にありえないし、正直、無理でしょ、とも思った。

でもそれから1年後の今日、りょーちゃんやすくんまるちゃん、現弦楽器3人組のセッションが放送された。個人的にはここ最近のセッションでもトップ3に入るくらいの圧巻のセッションで、まごうことなく最強の音楽だと思った。足りないものも過剰なものもなくて、これ以上のものはきっとないだろうな、これこそがあるべき形なんだろうな、と思った。だいすきな関ジャニ∞の音楽は、形などは変わってしまったけど、変わらずだいすきなまま。むしろ、より一層好きになった。

 

 

いちいち「あの日から1年!」とか騒ぐ必要は正直ないよなあ、と思ってる自分もいる。思ってはいるのに、どうしても、日付を見る度に「メンバーに申し出た日だ」「最終決定の日だ」などを考えてしまうし、今日なんかは特にいろんなことに思いを馳せてしまう。無駄な行為なのは分かっているのに。

でも、こういう節目だからこそ、関ジャニ∞にあらためて感謝を伝えたい。伝えなきゃならない。と思って、今、この記事を書いた。

 

関ジャニ∞、1年間、本当に本当にありがとう。あんなにも絶望してたのに関ジャニ∞のことをここまで信じられたのは、他でもないあなたたち自身のおかげです。信じて着いてきて、本当に良かった。わたしの選択は何も間違えていない。6人でも関ジャニ∞は最強で、もっともっと好きになれた。

今だって色々言っちゃうし、色々思っちゃうけど、今日も関ジャニ∞でいてくれてありがとう。6人で続けることを決めてくれてありがとう。わたしの日々のパワーになってくれて本当にありがとう。あなたたちのその決断がなかったら、わたしはしゃかいじんいちねんめを乗り切れていなかったと本気で思います。

あわよくばこれからも幸せにしてもらいたいし、幸せにできるのならなんだってする。いつかの記事にも書いたけど、「『せめてあと少し、もう少しだけ』がずっと続いて、気づかないうちに6人の関ジャニ∞が永遠になってしまえばいい」と、今も本気で願ってるよ。これはりょーちゃんに怒られるかな。

 

来年の今日は、どんな気持ちで過ごしてるかなあ。わからない。あの日抱いた不安はないけれど、あの日から色々あった今、新しく生まれた不安も正直幾つかある。

それでも、わたしが信じたいひとたちは絶対に関ジャニ∞だけだし、あのどん底の日々からわたしをすくい上げてくれた関ジャニ∞のことを、いまのわたしはあの日以上に信頼しているから。

 

あしたも来週も来年の今日も10年後の今日の日も、いまと変わらず、関ジャニ∞が笑っていますように。音楽にあふれた日々を過ごせていますように。たくさんの夢を叶えていますように。希望に溢れて、たくさんの愛につつまれて、輝いていますように。

真夜中のラブレター現象


大倉くんの好きなところ、

あまりにも整いすぎているお顔。
優しくて甘くて低い声。
しゅっとした顔立ちとは裏腹にもちもちしたからだとほっぺ。
笑ったときのふにゃっとしたまゆげ。
みんなが笑っている時でもいちばんに聞き分けられる、特徴的な笑い声。
高いときはすんと透き通っていて、低いときはだれよりも渋くなる歌声。
きらめくアイドルでありながらも客観的で現実的な目を持ち続ける器用さ。
バラエティにおけるお茶の間的コメント、テロップになりがちなワードセンス。
ラジオのリスナーのお悩み相談に、現実的に、真剣に向き合って、厳しくもあり優しくもある言葉を投げかける賢さ。
すばるくんの「卒業」や、「あとのメンバー」呼ばわりに疑問を呈す、些細なことばも大切にする姿勢。
お母さんのことを「おかあちゃん」って呼ぶところ。
大切なものをしっかり大切にするところ。
ほんものの優しさにとても近い、ひょっとしたらほんもの中のほんものかもしれない、大きな優しさを持っているところ。
先輩、後輩、メンバー、おたく思いなところ。
おたくの需要めちゃくちゃ分かってる天性のアイドル気質なところ。
やるべきことをしっかり成し遂げる、柔軟で賢くて努力家なところ。
関ジャニ∞の末っ子なのに末っ子らしくなくて、でも結局、一番に末っ子らしいところ。
きらきらしてて、かわいくて、かっこいいところ。



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大倉くんの好きなところなんて数え切れないし、毎時間のように増えていく。ので、一旦この辺でやめとこっと。満足満足。



大倉くんの人生が輝きで溢れていてほしいと思う気持ちも、アイドル大倉忠義がずっとわたしに夢を与えてくれたらいいのになと思う気持ちも、紛れもなく本物だなと唐突に思って。このふたつの気持ちはもしかしたら噛み合わないかもしれないけど、ていうか噛み合わない可能性のが大きいだろうけど、特に後者に至ってはとんでもないわがままなんだろうけど、それでも、大倉くんの日頃の姿を見てたら、どうしてもそう願ってしまうな〜、それを信じても良いんじゃないかって身勝手に思ってしまうな〜〜って。そんなことを考えてしまったこんな夜なので、咄嗟にこんな文章を羅列した。きもちわるいね。

まあ正直、最新のエントリーがくらいくらいくら〜い記事なのが嫌だからむりやり更新したってのもちょっとあるけど。でも、書いてることに偽りはない!全部本心!

落ち込んだり嘆いたり恋したりときめいたり、忙しいおたくでごめんね!大倉くん!
大好きだよ!!!(超どさくさ)

おしまい

2018年7月15日の関ジャニ∞によせて

 

 

 

2018年7月15日 GR8EST 札幌公演に行き、7人の関ジャニ∞とお別れができました。というお話。長いです。

 

グッズのネタバレ及びMCレポを大いに含んでます

また、曲目に関しても、特定はできない範囲の特徴をちらっと書いてます(イントロがあるだとかいきなり歌から始まるだとか、そんな感じの)

ネタバレはしていないつもりですが、基準は人それぞれだと思いますので、回避してる方は自己責任でお願いします

 

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